「風立ちぬ」を見た

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見た。2回目。

宮崎駿作品の中で好きだったのが、「ナウシカの原作漫画」と「紅の豚」。しかし風立ちぬを見てから、1番は風立ちぬに入れ替わった。なにがこんなに気になるのか。

 

宮崎駿が自分の価値観を示した作品なのではないか

 僕自身は、大した鑑賞者ではないのだけれど、「風立ちぬ」は、村上春樹の「ノルウェイの森」と同じような印象を受ける。宮崎駿自身の人生が、作中に濃厚に現れているような。

 おそらく仕事にのめり込んでる時、美しいを追いかける時は、宮崎駿には作中の堀越二郎と同じような部分があったのだろう。

 

●菜穂子と二郎

 この映画は、二郎の回想のようなものではないかと思うのだけれど、自分にとって都合がわるい・美しくない話がほとんどでてこない。零戦のその後の運命も一言だし、菜穂子の最期についても描写がない。ただただ美しいものを目指す人たちを描いた、美しい物語。

 菜穂子のあり方については、「一番好きな人に一番綺麗な自分を見せた」という作中のセリフのとおりのあり方だったんだと思う。結婚式のシーンは泣ける。仕事中の二郎と手をつなぐシーンも、菜穂子が飛行機に心血注いで他のことを一切顧みないところも含め、二郎を愛しているのだなと思った。ほかのジブリの活発で魅力的な女性主人公、や現代の女性のあり方とは全く違うが、時代の違いと言う他ない。

 しかし、自分が作った零戦が着地するという一番大事な達成の瞬間の時、二郎が飛行機のことではなく菜穂子のことを一瞬考えるという描写は味わい深い。

 

●技術者の一生という側面

  僕自身が理系の研究者/エンジニアをやっていることもあって、特に「技術者のセンスは10年」という気づきは胸につき刺さる。研究開発は「巨人の肩に立つ」営み、すなわち過去の蓄積の上に、自分の発見を付け加えていく。

 一方で、ヒトには年齢による変化があって、僕の分野だと

・10代:まだ始まっていない。なんでも吸収できる。

・20代:試行錯誤を始めながら、吸収力も抜群

・30代:実務能力が上がり、成果を出しつつ、吸収力もまだある。決断力が増す。

・40代:実務能力が最大化し、成果もでるが、新しい事の吸収が困難になる。決断力はさらに増す。

のような気がしている。

 だから吸収力がある若い頃に、何に出会って、いかに考えて試行錯誤するかが、やはり大事で、それで30代後半から40代の仕事の方向性が決まっているような気がする。

 そういう人生の起承転結の中で、早い遅いはあるにせよ、創造的なことができるのが10年で、そのあとは、その奇跡の10年の間に考えていたことを具現化する時間なのではないかと考える。

 作中の堀越二郎でいえば、サバの骨であったり、夢の中の飛行機を思い描き、ドイツ視察や実務の中でアイディアができ、三菱で零戦のイメージを議論するくらいまでが、その奇跡の10年。あとはそれを具現化する時間だったのだろうと思う。 そして、次の天才の時代に移るのだろう。

 

 良い映画だと思う。

 

技術者のセンスという話が、やはり見るたびに自分に突き刺さる。僕にとっての研究者としての自分の勝負所の仕事は、2012年に始めた一連のこの仕事である。この仕事の材料になるような経験は20代の大学院であったり、2012年から2014年にボスの背中を見て学んだことなんだろうけれど。自分の研究者としての問題意識を絞り尽くして、今の仕事を完成させようと打ち込んでいるのだなと思う。そういう30代を過ごしている。

 そしてもっと泥臭く、調整ばっかりやっている自分の姿を振り返り、ただただ自分が俗物であることを思い知るばかりである。